原 九右衛門





原重興(はら・しげとも)

 実行教教長、用水開発功労者。1827(文政10)〜1915(大正4)年。

伊那郡栗矢村(現阿智村)の旧家原家の二男に生れ、長男が早世 したため家を継いで九右衛門を襲名する。父の影響を受けて幼い時から不二教の信者となり、1863年(文久3)阿島の平田門人近藤至邦の紹介で平田篤胤没後の門人となった。 明治初年に飯田を訪れた柴田花守や西川須賀雄らの実行教会の幹部と交わり、実行教の普及伝播に努めた。72年(明治5)伍和村の戸長、79年下伊那郡書記などを勤めたが、82年不二教が神道として独立 して実行教となってからは、その教長となり、社員も上、下伊那郡下に2500人を数えた。

93年(明治26)には村民に呼びかけて栗矢村に浪合川の水を引いての開田を企画し、99年には6.5キロに及ぶ用水が完成、水田三十五ヘクタールを開発した。1906年(明治39)には婦人会を組織し、勤倹貯蓄を勧めるなど、地方の産業と文化の向上に貢献した。八十九歳で死去し、村葬が行われた。[長野県歴史人物大辞典]より。


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