原 九右衛門 と 富士見台


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南信州 恵那山の麓中央アルプスの一角に“富士見台”という高原が有ります

富士山からみて見えないから、当然富士見台からは見えない

地元では、富士山の見えない“富士見台”で、“富士見たい”! 願望の山だと言われたりもしています。

この高原を“富士見台”と名付けたのは、他ならぬ 原九右衛門 はらくえもん (1827〜1915)さんだったのです!

この名前の由来について、歴史の道100選で次のように説明されています
富士見台の名の由来は、幕末から明治にかけて下伊那地方に広い信仰をうえつけた「実行教会」にある。この教会は古くからあった富士講の流れを汲む団体で、富士山を礼拝した。かつて富士講の行者が山伏姿でここに登り、修練道場として富士山を遥拝したことから「山伏岳」と呼ばれていたが、実行教会員もここを「神坂峠の北の山伏岳の富士遥拝所」と呼んでたので、あまり長すぎるので原九右衛門が「富士見台」と名付けたといわれている。現在中腹の岩には富士浅間神社の本体である「木花咲耶姫」・「天の御中主神」を刻名した碑が祭られている(『阿智村誌』)。この碑裏面には神坂村の人々の名も見られる。この富士見台は阿智・神坂両村の人々によって祭られてきたものと考えられる。  


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